東日本大震災

2011年3月11日

この日は日本の歴史において、確実にターニングポイントとなりうるインパクトがあったと思える日。

今後この日をどう後世に伝えていくのか、何を残せるのか、それぞれが考えて生きていくしかないと思う。

針は戻せないし、失ったものは悔やんでも悔やんでも元通りにはならないから。

被災され亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、現在避難生活をされている方の健康と、これからの復興をお祈りいたします。

午後2時46分

とうとう人生で初の携帯電話(というかスマートフォン)をゲットし、どうやって遊ぼうかと(仕事中なのにもかかわらず)想いを馳せていた俺様。

だが、その時間に起こった地震は、そんなくだらない想いを見事に吹き飛ばしてくれた。

俺様の勤務している部署は4階にあるが、本棚、キャビネ、デスクトップパソコン、液晶ディスプレイ、書籍、資料...とにかく全てのアイテムが一斉に絶え間なく揺れ動く。

「机の下に隠れる」とか、避難訓練でお約束のようにやっていて、当然やるべきであろうアクションが全く取れない。他の連中も同様に呆然と事の成り行きを見ているしかない状態。

最初の揺れが納まったので、早速ネットや携帯のワンセグで情報収集開始...埼玉県は震度5、マグニチュードは8.4で、震源地は...東北、三陸沖らしい。

東北...盛岡の実家は大丈夫かと電話を掛けてみるが、お約束で規制が発動しているようで話中の繰り返し...で、俺様宅に電話を掛けてみても同様。

結局その日は終業まで仕事になるはずもなく、余震のたびにびくびくしながら、部内で俺様の資料だけ崩落したのでそれを片付けてお終い。

午後7時30分

やっとの思いで帰った俺様だったが、次に控えているのは部屋の片付け。

今回の震災で一番被害を受けたのは、2階の寝室兼パソコン部屋だったりする...下記画像を参照あれ。

https://hkjunk0.com/wp-content/uploads/earthquake01.jpg

奥様から普段の片付けがなっちょらんと叱られる。

1階については被害がなく、2階のその他の部屋も被害がなかった...奇跡的に。

2階のこの部屋だけが集中して被害を蒙ったのは、恐らくこの部屋「だけ」他の部屋と異なりエントロピーが増大しまくっていた(^^;)。のが原因かも。

  • 洋服ダンスの上に載せておいた木枠が2個落っこちる → 画像の左上方
  • 部屋の上に吊っていた棚のソフトウェアのパッケージが半分くらい崩落 → パソコンの手前に散乱
  • 液晶ディスプレイが前のめりに転倒

平日の午後だったんで誰もいなかったのが本当に幸いだった...いつものようにパソコンの前にどっかりと胡坐をかいてネットとかメールとかしている最中に見舞われたら...マジで想像したくない。

しかし、何年か前にやっといた耐震対策、特にいわゆる「突っ張り棒」の効果は絶大だった。本来ならば震度3程度でも揺れまくる俺様宅が何とか凌げたのは、まさにこの突っ張り棒のお蔭かも。

夕飯を食べてから片付けに着手...で、2時間程度で完了。思ったよりは簡単だった。

落っこちてきた木枠2個は、庭の物置に移動することにした。

ソフトウェアのパッケージはそのまま棚に戻してやった...同じ揺れが来たら同じように落っこちてくるのは明白だが、(永遠に)取り敢えずそのままで。

しかし、テレビを見ていると半端じゃない被害のようだ...確実に阪神淡路の上を行くのではないかと思った。

その後

3月11日から2週間ほど経過したが、朝から晩までやはり震災中心でさまざまなリズムが構築されている。

俺様が勤めている会社は、いわゆる自動車部品製造業だが、工場が東北地方に2つある。福島県と岩手県。

そのいずれもが少なくはないダメージを受けているが、現地の方々の頑張りで被災前の8割程度までの操業が確保できるようになっている。

しかし部品が一つ欠けただけでも出来上がらないのが自動車なわけで、もっと深刻なダメージを受けている工場をどうにかしないと埒が明かないだろう。

食料とかガソリンのような日常生活品については山ほどニュースが溢れているので省略するが、何となく沈静化しつつある状態。

しかしガソリンには参った。タンクローリーを発見するとあとからあとからぞろぞろと金魚の糞のように車がくっついてきて、そのままローリーがスタンドに到着し、仕込みが終わるまでじっと待ち続け、何時間も待ってたったの10リットル?という光景も目のあたりにした(決して俺様じゃないよ)。

あと、近所で奇妙な光景を見掛けた。

俺様の住んでいるさいたま市、その中央区役所のそばに「さいたま法務局」があるのだが、ここ一週間くらい前から妙に長い行列を見掛けるようになった。

行列は恐らく100メートル以上もあり、そのほとんどが中国人っぽく見える...恐らく、出国の申請をするために並んでいるのだろう。

ニュースによると、不法滞在(しかも長崎で、だ)をしていた中国人ですら原発が怖くて出頭するくらいなんで相当怖いのか?

逆の立場だったら同じ行動をするかもしれないが、ま、かなり微妙な感じですな~。

あ、ちなみに実家とか親戚は全員無事ということが確認できた...物的被害も殆どなく、不幸中の幸い。

https://hkjunk0.com/wp-content/uploads/earthquake02.jpg

コンサートのチケットのための行列でないことだけは確か。

https://hkjunk0.com/wp-content/uploads/earthquake03.jpg

雨の中、行列が、果てしなく続く。

これから死ぬまで、その時に居合わせた全ての人にとって、その日は忘れられない日になるだろう。

いや、忘れてはいけないのだろう。

今後この日をどう後世に伝えていくのか、何を残せるのか、それぞれが考えて生きていくしかないと思う。